本が好きな話
ここまでやってきてようやく、吾輩は猫であるの序文がテキストエディターに表示されるのはデフォルトの設定で、最初に猫の画像を挿入した件とは全くの無関係であったらしいことに気づいた私である。
さて前回私はかの本に影響を受けたというような話をしたのだが、そもそもの前提として私は読書が好きだし本が好きなのである。
この二つが同じだと思うのならあなたはおそらくあまり本になじみがないのであろう。 『本』そのものが好きな場合と、読書、すなわち『本の中身』が好きな場合というのは別々に存在しているのだ。 後者のみの人というのは、電子書籍という文明の利器によって発展した領域に多く存在する、と言えば理解してもらいやすいだろう。 もし、例えば古い洋書などを読めないのは分かっていながら購入しインテリアのように飾っている人がいるとするならば、その人は前者に該当する。
そして私は、本が好きだし、読書が好き、なのである。
元は家のほど近くに割合整備された図書館があって母が定期的にそこを利用していたことに起因する気がするのだが、はっきりとは覚えていない。 就学前後の話を子細に覚えている人もそういないだろう。 いないと信じたい。
ともかく、私ははっきりした自己意思を持つより先に、本が好きになってしまった。
これの悪いところは、人間関係が自動的にどんどんと希薄になる点にある。
私自身は話すのがかなり好きな方であるのだが、いかんせん目の前に「見るもよし、なでるもよし、持って読むととても楽しい」なものがいくらでもあるのである。 そちらを優先しているうちに人々は遠巻きになり、いつの間にやらボッチと呼ばれる状態になってしまった。全く困った話である。
損の状態が今でも継続気味なので、より世界を広げられるよう努力したい今日この頃だ。