吾輩は猫であるの話 前回たまたま『吾輩は猫である』の話が出たので、引き続きその話をしてみる。作中に、「のんきと見える人々も、心の底を叩いてみれば、どこか悲しい音がする」という一文がある。今記憶から引っ張り出してきたものなので原文ママではないのだが、この一文に多感な時期の自分はずいぶんとすくわれたものである。中二病、なんていう言葉がある。 要は自分の唯一無二性とは何か模索し、多くの場合のちの痛い思い出となる期間のことである。私の場合、自分以外のみんなが幸福そうで、自分ばかりがつらい思いをしているという被害妄想に取りつかれていた。 つらかったこと自体は否定しないが、正直言って悲劇のヒロインぶり過ぎている。そんなころにこの一作を読んで、体の奥底をゆすられるような思いになったのだ。 自分だけがつらいのではないのなら、じゃあ今明るくまともな生活が遂行できていない自分は何なのだ、といったような、これまたずいぶん劇的な悲観だったわけだが、一歩進んだきっかけである。いやはや懐かしい。 いまだに思い出すたびに背中がぞわぞわするので、できれば蓋をしておきたい愛くるしい痛みである。