文字記憶の話

似たような話が続いているなあと思いつつ、自分のできる話しかできないので半ばあきらめながら記事を書いている私である。

あなたは自分の記憶指向性、あるいは情報の嗜好について自覚はあるだろうか。
わたしはそれらがもっぱら活字に向いている人間であった。

例えば道中の掲示板、学校に貼られたポスター、配られたプリント、果ては捨ててある雑誌など、とにかく活字が書いてあるものを目にすると一度読んでみないことには気のすまない子供であった。
もちろん読めていない文字や正確に意味を理解できていない後もあったのだが、なれとは恐ろしいものである、そのうち前後の読めている部分からなんとなく行間を察することができるようになっていった。 辞書検索や読書による語彙力の上昇のおかげもあるだろうが、全くもって便利な能力で、大学受験の際には随分とお世話になった。

とにかく何でも読む、何時でも、どこでも、読むために立ち止まってしまう。 ゆえに迷子になりやすく、小学校のころなどは担任の先生に探されてしまったことが何度もあったそうだ。 困った活字中毒者だとよく母には苦笑いされた。

同時に文字で見た記憶を忘れにくいという特徴もある。
少し前の話だが、大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放送されていたころ、畠山重忠という人物が登場した回があった。 のちに、主人公である北条義時の妹と結婚して義理の弟となる大事な人物だ。 この彼、というより彼の名前についてなんだか私は見覚えがあった。 何か、道祖神のような何かで、見た記憶があったのだ。
数日かかって「もしや」と思い当たり、GoogleMapを開くと、まさしくビンゴ、私が記憶していたところをはっきりと確認したのである。
私は幼少のころ鶴ヶ峰と呼ばれる地域に住んでいた。 今は引っ越してしまったのだが、住んでいたころは近所をよく散歩した。 鶴ヶ峰というのは、畠山重忠が謀反を起こし、亡くなった土地である。 その碑が、当時住んでいた家の近くにあったのだった。
マップを見た時の感動は何とも言えない。 私の文字記憶というのはこれほど前までたどれるのだという誇らしさと、今を生きその土地に住んだことのある私とドラマの中の歴史が何やらつながったような静けさがあった。

別になんてことはない自慢話だが、人それぞれ得意があるという、まあそれだけだ。

上部へスクロール